無意味な競争社会から抜け出そう

競争社会からは優れた人材は出てこない

どんなことにも必ず「競争」があります。

単純に言えば「椅子取りゲーム」のようなものです。

限られた数の椅子をお互いに奪い合うシステムです。

世の中には様々な競争があります。

  • 社内の出世争い
  • 価格競争
  • スポーツのレギュラー争い
  • 営業成績

色々な競争がありますがほとんどの競争は無意味なものばかりです。

誰も敗者になることは望みませんから、競争社会では常に勝ち続けることが要求されます。

競争社会では「競争が正しい」とされていますが「競争」の意味を勘違いしている人がいます。

競争はお互いの能力を引き出し合うのには適していますが「競争」にこだわってしまう事が問題です。

つまり「競争に勝つ」事にばかり集中して本来の目的を忘れてしまっています。

もっと地道に学ぶべきことがあっても焦って「勝つこと」が優先になってしまいます。

競争に勝つことが目的になってしまうと「勝つこと」しか見えなくなってしまいます。

勝つことが優先になってしまうので失敗を恐れるようになり「結果」を出すことばかりにこだわります。

実力が伴っていないのに「結果」を求めるのは危険です。

その場限りの「結果」を求めていたら「失敗」から学ぶことができません。

失敗を恐れていると大きく成長するチャンスを逃してしまいます。

「競争」に勝っても幸せにはなれない

「競争」に勝っても今後は常に勝ち続けなければなりません。

「勝ち」を放棄した瞬間から「負け」を意味することになるので勝ち続けるしかありません。

常に勝ち続ける人なんて皆無と言っていいでしょう。

つまり、競争社会は「敗者を大量に生産するシステム」ということです。

敗者は当然に敗北感を味わいます。

幸福感も得ることができません。

次こそ勝つために、次の競争へ挑んでいくことになります。

完全に「負のスパイラル」に入ってしまいます。

では、運が良く「勝ち続けた人」がいたらその人は幸せでしょうか?

最高の地位まで上り詰めて社会的地位を手に入れても、常に何かと競争し続けなければなりません。

これでは、「夢も持てず」「幸福感」も感じることができないでしょう。

つまり、勝てば勝つほど不幸になっていくことになります。

勝っても負けても幸福感を味わえないシステム、これが競争原理です。

なぜ「競争原理」が生まれたのか?

人を不幸にするシステムがなぜ採り入れられ、疑うことなく活動してきたのでしょうか。

それは、ほんの一握りの人が良い思いをするシステムだからです。

一握りというのは、ごく一部の政治家であったり大企業の社長クラスです。

このごく一部の層の人はほぼ固定されています。

二世議員、三世議員などがいい例です。

いわゆる世襲議員です。

大企業の社長でも、サラリーマン社長はこの一握りの中には入れません。

この一握りの層の人の為に一般人は「働き蟻」のように働き続けている訳です。

どんなに競争に勝ち続けても一握りの中には入れません。

彼らは財力と権力を持っています。

自分達に都合のいいシステムを一般人に巧みに植え付けます。

このシステムを最善のシステムだと思い込ませて一般人を操っています。

まとめ

競争社会がいかに無意味か理解できましたか?

当たり前のように受け入れていた競争社会の末路は「不幸」でしかありません。

それも、「勝っても」「負けても」です。

ごく一部の支配者によって競争をさせ続けて自分達が甘い蜜を吸う為に仕組まれたシステムです。

競争社会は奴隷を生み出す生産システムでもあります。

「競争」が正しいと信じさせて次々と敗者を生み出していきます。

「競争」からは優れた人材は生まれません。

むしろ、優れた人材を生み出させないシステムでもあります。

この原理を知った方は競争意識は捨てて下さい。

目先の競争よりも自分の今やるべき事に目を向けて下さい。

「競争」は所詮は争い事に過ぎません。

争いからは何も生まれません。

目先の結果に拘るとせっかくの才能も埋もれてしまいます。

失敗してもそれを経験として大きく成長することの方が大切です。

競争は勝っても、負けても幸せになれません。

一日も早く「競争社会」の洗脳から抜け出して下さい。

最後までありがとうございました。

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